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佐久のチカラVOL.1【佐久安養寺ら~めん】

農業、工業、商業、お寺を結びつけた佐久地域グルメの雄。

「ラーメンで元気な街づくりの一翼を担えれば…」そんな熱い思いを持った地元ラーメン店と行政や佐久商工会議所が協力。佐久の豊かな食に関する歴史文化や美味しさを広くPRし、特産物を生み出そうと安養寺みそを使った新たなるご当地ラーメン誕生へと動き出しました。試作会や会議を重ね、美味しくて飽きのこない味を求めて幾多の試行錯誤を繰り返し、ついに「安養寺ら~めん」は完成しました。
そんな佐久のご当地ラーメンは進化を続け、取扱い店も増やし、『信州ラーメン界のカリスマ』塚田兼司氏をスーパーバイザーとして迎え、全国に誇る美味しいラーメンを目指しています。

安養寺ら~めんのビジュアル

 

商工会議所と力合わせ

佐久平のご当地グルメブームの火付け役になったのが、今や佐久市の名物となった「安養寺ら~めん」。
農業、工業、商業。これらを結びつけ、何か新しいものを生み出すことは、商工会議所の役割として、理想的な形といえる・そこに”仏”、いわゆるお寺さんまで加えた画期的な取り組みが「安養寺ら~めん」だった。おそらく、日本で初めての試みではないだろうか。

安養寺ら~めんのビジュアル

 

みそとラーメンをマッチング

では、その開発ストーリーを。 佐久商工会議所では、地域の元気づくり、活性化のため、地域の食材を生かした商品開発ができないかと模索していた。その中で着目したのが、信州味噌の発祥の地が佐久で、市内のお寺・安養寺から広まったという言い伝え。「みそでできるものは何か」ここが次なる課題だ。
そんな折、運命的なめぐり合わせがあった。誕生して間もない「佐久拉麺会」の存在だ。「佐久拉麺会」は、個人拉麺店が、チェーン店にはない魅力を打ち出そうと集まった面々(6店)。みそとラーメン。これほどはまる相性もそうはない。両者の思惑がマッチングし、ここに「みそを使ったご当地ダーメンを作ろう」という計画が産声をあげた。 計画は練上がったが、完成までには予想以上の困難があった。各店主のそれぞれの味の方向性も違ったり、意見もバラバラ。開始からほとんど進まず、早くも暗礁に乗り上げる。そこで、考えを一度リセットし、めん、スープ、具というように一つずつ、じっくり組み立てていった。ラーメンづくりだけでなく、開発の課程では、安養寺や信州味噌の歴史を学び、大豆の豆まきも手伝った。みんなの重いをひとつにするためだ。小さな大豆をみるにつけ、みそづくりのためにいったい何万、何十万の粒の大豆が必要なのが、そう考えると、食材を大切にする気持ちがより一層強くなった。生産者の重いもしり、料理人として、位置段階上に進めたのではないかと、皆が感じている。

安養寺ら~めんのビジュアル:みそとラーメンをマッチング

 

安養寺ら~めんの功績

お披露目となった平成20年秋のイベント「いか座 やら座 さく市」では、佐久拉麺会で屋台を出店した。開店するなり行列ができていた。それを見たとき、苦労が報われたことに、「泣けてきました」と佐久拉麺の会のメンバーたち。最終的には予定の販売数をはるかにこえる1800杯を売った。
その後は、各店独自の「安養寺ら~めん」を販売、瞬く間に話題のご当地グルメとなった。大手コンビニがご当地拉麺として商品化もした。噂をききつけ、佐久市内はもとより、市内、県外から足を運ぶ人も少なくない。翌年には、「安養寺ら~めん」参加店も、佐久拉麺会の6店から市内の16店舗にまで広がった。今後は、さらに増え、より地域の味として、よりいっそう定着していきそうだ。この夏も「冷やし安養寺ら~めん」のスタンプラリーを行うなど、消費者に新たな魅力を提供し続けている。
そして、安養寺ら~めんのもう一つの功績は、佐久のあらゆる食文化に元気を与えたこと。佐久市望月の「駒月みそかつ丼」や軽井沢の「旧三笠ホテルカレー」などが生まれたり、またケーキ業界にも安養寺ら~めんに続けとばかりに新しい動きが出ている。

 

それは安養寺から始まった

安養寺住職
田嶋英俊(えいしゅん)さん

”我が子”の成長を見守る

佐久は鯉が有名だが、気軽に食べられるメニューではない。しかし「拉麺なら万人がすきだし、多くの人に味わってもらえる。地域のためにも、お寺のためにも(笑)いいのではないかと感じた」と安養寺の田嶋英俊住職。
安養寺と冠したメニューだけに、思い入れは強い。檀家さんが大豆を作ってくれたり、開発にチカラを注いだ佐久拉麺会のメンバーの苦労も知っているだけに「一味違うねと田嶋住職。「お寺の拉麺だ」と、住職以上に檀家さんが喜んでくれているという。もちろん、みそ作りをこの地に広めた「覚心」さんも喜んでくれているこに違いない。なにより、地域が元気になる手助けになっていることは、住職にとっても嬉しいこと。
その”成長”も我が子のように気にかかる。「もっともっと地元で愛されるものになっていってもらえたら。お寺の長い歴史のように、安養寺ら~めんもずーっと残していってもらいたい」と願っている。
「実は小麦を撒く予定があるんですよ」。佐久で小麦の生産が増え、拉麺の麺も作れるようになれば、名実ともに佐久の名物になっていくはず、と次なる展開にも期待がかかる。
安養寺ら~面を食べたら、信州みそ発症の安養寺へも足を運びたくなる。

安養寺ら~めんのビジュアル:それは安養寺から始まった

 

安養寺ら~めんの肝、安養寺みそ

和泉屋商店 阿部博隆さん
長期間熟成したみそ

「安養寺みそ」のきっかけは、長野県味噌工業共同組合から和泉屋商店に「信州みその発祥は、佐久ではないか」という話しを知らされたことだった。さらに突き詰めていくと、覚心和尚のんば前が浮かび上がり、安養寺へとつながった。
早速手を挙げ、安養寺の大豆を使って、新しいみそを作ろうという話しが進んだ。安養寺みその独自性を出そうと、通常よりも熟成期間を長くした。2年以上熟成されたみそは、塩分の尖りがなくなり、まろやかになる。
安養寺みそ誕生から8年。みそ業界にも何かしら、新しい動きが欲しいと感じた専務の阿部博隆さんが、佐久商工会議所に相談。そこから、拉麺とのコラボレーション話が生まれた。
「みそ屋ですが、それまで拉麺はみそより、豚骨や醤油派でした。でも、今では安養寺ら~めんを食べるようになりました(笑)。最近では、安養寺ら~めんのみそは、おたくで作っているんですね、と知られるようになりました。みその販売にもつながっています」と阿部さん。後はこのブームが一過性のものではなく、真のブランドとして根付いていってくれることを願っている。みそと同様、しっかり”熟成”していってほしい。

安養寺ら~めんのビジュアル:安養寺ら~めんの肝、安養寺みそ