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●稲田養殖農家
各戸ごと越冬や切鯉飼育用の池を持っていた。 |
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●とり揚げ風景「平拾い」
人が担ぎ棒の両天秤を肩にし、両側に人がついて魚を集める。 |
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佐久の水田養鯉は天保十三年(1842年)から行われていることが、佐久市跡部村・茂原猪六の「猪六日記」に出ている。 当時年貢のかからなかった養鯉を一層手広く行おうと、稲田を池中養殖と併用した水田養殖で、米を作りながら鯉を育てるといった一石二鳥の佐久ならではの技法だ。
水田養鯉は、田植えの終えた水田に体長1・5センチに成長した稚魚を放流。稚魚は、ミジンコや蚕のサナギ飼料にまたたく間に肥え、稲株の間を激しく泳ぎながら稲の分(ぶん)けつを促し、旺盛な食欲によって害虫や水草を捕食する役割を果たした。稚魚はやがて秋の落水期には体長15〜16センチの当歳と呼ばれる一年鯉に成長する。いったん池で越冬したこの鯉はまた稚魚と一緒に水田に放養され二年鯉として出荷された。このような風 景は野沢を中心に800ヘクタール余りの水田のほとんどで行われていた。
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