西暦 |
年号 |
できごと |
前100 |
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中国に養鯉始まる。 |
1781-88 |
天明元年 |
佐久桜井村の臼田丹右衛門、大和国淀川産の親鯉数尾を佐久に持ち帰り飼育する。 |
1830-43 |
天保元年 |
このころから桜井村の戸々の屋敷内に池をつくり、稚鯉が生産される。 |
1833 |
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桜井村の養鯉業者ら、下仁田より干蚕蛹を移入し、養鯉餌料とする。 |
1842 |
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佐久跡部村茂原猪六、「養鯉日記」を記す。 |
1844-47 |
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佐久の浅沼太十郎、屋敷裏の稲田で養鯉を始める。 |
1857 |
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「猪六日記」に鯉料理の記述。(鯉吸物・鯉皮千切・洗鯉・鯉刺身・鯉すくみ・鯉甘煮・鯉ぬた) |
1866 |
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「猪六日記」四月に孵化術の一般化記述。 |
1875 |
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中込村・野沢村・原村で稲田養鯉が商品生産としておこなわれる。 |
明治初期 |
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天秤商いで群馬・山梨県下まで販路を広げる。 |
1902 |
明治35年 |
佐久鯉、初めて宮内省買い上げとなる。 |
1906 |
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ドイツ鯉を水産講習所より導入、佐久鯉との交配試験を野沢町に委託。(ドイツ♀×在来佐久鯉♂) |
1920 |
大正9年 |
野沢町産業組合設立。 |
1923 |
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鉄道利用による遠距離販売開始される。 |
1924 |
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野沢町にて全国初の養鯉品評会開催。 |
1925 |
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佐久鯉加工工場開設。
全国副業展覧会にて佐久鯉一等に入選。 |
1926 |
昭和元年 |
東京出荷19トン。 |
1928 |
昭和3年 |
佐久養鯉出荷組合、出張所を東京などに設ける。 |
1930 |
昭和5年 |
東京出荷量210トン。
この頃「佐久鯉」と名称が統一される。 |
1932 |
昭和7年 |
北海道札幌帝国農会に三百貫輸送。 |
1938 |
昭和13年 |
東京出荷300トンに増大。 |
1940 |
昭和15年 |
佐久地方の養鯉生産が二十五万貫に達する。 |
1940 |
昭和15年 |
関東軍要請により、仔鯉十万尾を中国山西省太原市に輸送。 |
1955 |
昭和30年 |
二幸(新宿)・三越(日本橋)などで佐久鯉宣伝販売。 |
1956 |
昭和31年 |
百貨店、スーパーマーケットに佐久鯉売込み。 |
1957 |
昭和32年 |
水槽・酸素補給導入により、トラックによる鯉の長距離輸送開始。 |
1962 |
昭和37年 |
長野県養鯉生産が日本一となる。 |
1963 |
昭和38年 |
第一回鯉祭り、洞源湖・貞祥寺にて行われる。
東海区水研の指導で、鯉唐揚げ試作。 |
1964 |
昭和39年 |
皇太子殿下、佐久の稲田養鯉を視察される。 |