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発見2

出会いの石仏蓼科山麓の水ゆらゆらゆれる”ゆるぎ石”ミステリーサークルの知恵団子?

出会いの石仏 ■おもしろ現場はこちら■
 江戸時代、岩村田から香坂を通り峠を越えて、群馬の下仁田に向かう「日影新道」という道があった。この時代、地元の人々は碓氷峠を越える「中山道」をかなり利用したらしい。日影新道が通る伊勢林の谷津さんの家は、「釜鳴屋」と呼ばれ、馬宿の面影を今も残している。


 この道、実は一旦、香坂方面と志賀方面の二つの道に分かれる。そして、また下仁田に入ったところで道が一つになる。その二つの道が一つになる所が「出会い」と呼ばれる場所! 場所的には神津牧場の牧草地の近くにあり、どおってことはないところだが、何かその言葉の響きに導かれ訪れてみたくなる。ここでは、小さな石仏がそっと迎えてくれる・・・


 「志賀越えの道」でも、石仏が往時を懐かしみながら佇んでいる。

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蓼科山麓の水 ■おもしろ現場はこちら■
 蓼科山の麓には以外と水にかかわる話が多い。


 蓼科に降った雨水は、佐久側に流れれば千曲川を通って日本海へ行き、諏訪側に流れれば天竜川を通って太平洋に行くと云われ、二つの海につながっているとか。双子池にある二つの池のうち飲料用は雄池だけだとか。五郎兵衛用水の水源地「五斗水」が大切に祀られているとか。仙境都市のセンターに「八斗水」と呼ばれる水があるとか。畳石付近に布施に流れる用水の「木の樋」が今も残っているとか。美笹湖の少し上に「一杯水」という所があるとか。大河原峠にあるヒュッテの煎りたてのコーヒーは美味しいとか。「樽湧」という所でそっと耳を岩にあててみると”ゴットン ゴットン”と蓼科山の伏流水の音が聞こえるとか・・・


 そうやって考えてみると、前山から美笹に行く開発道路沿いにあるあの湧き水も、結構がんばって蓼科山から流れてきた貴重な水だと思う。

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ゆらゆらゆれる”ゆるぎ石” ■おもしろ現場はこちら■
 前山から美笹を抜け大河原峠に向かって林道を走っていくと、左側に「ゆるぎ石」という小さな案内板が目に入る。


 案内板に従って、昔佐久から諏訪へ行く細い道を歩くと、その道沿いに結構大きな石が見つかる。石の重さは1トンはないと思うが、それでもかなり重そう!


 その大きな石の上に乗っかってみる・・・ すると、なにやらユラユラとゆれる感じがする? こんな大きな石がゆれるワケがないと、もう1度乗ってみたらやっぱりユラユラした。なんとも奇妙な石である。


 この大河原林道沿いには、カエルのような形をした「ガマ石」や蓼科山の溶岩で畳状になった「畳石」、そして少し離れるが、立科町の蓼科牧場に「UFOの発着場?」として有名な「鳴石」という神秘的な石もある。

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ミステリーサークルの知恵団子? ■おもしろ現場はこちら■
 市内には「十五夜さん」にちなんだお祭りがある。そのお祭りは小田井の蓼科製作所の前にあるこんもりとした林の中の草原「皎月原」で開かれる。


 そこは現代の「ミステリーサークル」みたいに草が輪の形の部分だけ生えない現象が起きたと云う「皎月の輪」の伝説が残っている場所。江戸時代も巷の話題になっていたみたいで、「むかしより かわらぬ影を うつしてや 月毛乃駒の 跡のみちしば」という句が、中山道小田井宿本陣にある「夢想皎月記」記され、その句碑も「皎月原」に建てられている。そういえば市内には多くの文化財があるが、「名所」で指定されているのは確かここだけ! 満月の夜、この伝説の地でまかれる「知恵団子」を拾うと頭が良くなりそう!


 ◆伝説 『皎月の輪』◆
 むかし皎月という官女がお咎めを受けて佐久郡の平尾へ流されてきた。いつも白馬を愛していた皎月はある時、小田井の原へ馬を引き出して乗りまわしていた。ところが天の竜馬だった白馬は空をかけまわった後、平尾山の頂上に立ち止まった。そこで皎月は「われは、ただびとでない。白山大権現であるぞ。」といって光を放って岩の中に入ってしまった。その後、官女は白山大権現とあがめられるようになったが、時々小田井の原に下りてきて馬の輪乗りをした。そのあとには草がはえなかったので、そこを「皎月の輪」と呼ぶようになったという。

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