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6 月19 日㈯から21 日㈪まで初めて長野にダライ・ラマ法王が訪問されました。
長野善光寺塔頭(たっちゅう)のひとつで1000 年以上の法燈を保つ「西方寺」の金井住職がチベットにおいての修行を重ねて以来、長い間の交流を踏まえ、また直接的には昨年の北京オリンピック聖火リレーが善光寺境内からスタートするとの案を、善光寺全山あげて中国のチベット仏教への弾圧に抗議する、とは言わずに静かに断ったことへの感謝を表し、同時に「西方寺」でチベット仏師による「立体曼陀羅像」の開眼法要を法王自ら執り行うことを目的に初めて長野の地にお越しになられました。
私は年初にダライ・ラマ法王の来日予定発表の中に善光寺訪問が有ることを知り、一仏教徒としてインドから日本に仏教伝来の長く細い一本の道、今では釈迦如来様の教えを最も正しく保っている「チベット仏教」の最高位に有られるダライ・ラマ法王の法話を直接お聞きできる貴重な機会であると逃さぬようにして参りましたが、結果は長野商工会議所加藤会頭との友情により願った以上の手配をして頂きました。
ここに深く謝意を申し上げる次第です。本当に「縁」によって生かされていると改めて感じた二日間でした。
この7 月の会報には当初は「茶の間の会話」の表題で、近づく選挙に対して我々国民として国政を変えていく唯一の機会である夏の参議院選挙には家族として、また親子三代が昔のように多様な意見交換をして 目先のムードやバラマキの疑似餌にだまされることのない、我が国が直面している様々な危機に対して自分だけ安穏であればと安易な選択をせず、政治の機能不全、官僚の自己防衛システム、年金の将来、人口減少の衝撃、ある意味世界一不健全な借金まみれの国家、地方財政、家族を、自国を守る気概の喪失、教育現場の「志」不在、底なし沼に沈むような日本が世界から存在感を失って行く日々、小さくは道路のあちこちに散乱するゴミ袋、人心の荒れ、事件事故の多発、などを書ければと思っていました。ところが6
月20 日に行われた長野ビッグハットでの6500 名以上参加した法王の講演会、21 日に加藤会頭が 檀家総代を務める「西方寺」での檀徒だけを対象とした「立体曼陀羅像」の開眼法要、本堂に於ける法話、更には限定された「謁見」の法悦の瞬間までいただき、さらには法王との写真撮影までお許しいただけたことなど、千載一遇の機会を得られたものですから、今月号は表題のとおりとさせていただきました。
本題に戻ります。
ダライ・ラマ法王猊下の法話のごく一部分だけお伝えしますと、
1.人間、皆、「仏性、仏に成れる種」を持っている。皆さん誰もが仏になれるのですと仏陀は説いてくれている。但し、その「仏に成れる種」も自分で育てる修行が欠かせない。
2「. 苦」の種類も多様であり、誰一人「苦」の無い人はいない。従い、それぞれの「苦」の「因」を浄化しなければならない。
長野市西方寺本堂での法話会にて
(撮影:長野商工会議所 加藤久雄会頭)
3.日本の友人に聞くと 若者が希望を持てず、夢に挑戦すらしない、他責、自責に拘わらず「生きる」ことに疲れて??「自死」を選ぶ若者が多くいると聞いている。
私は幼いときにどの様に「愛情」に包まれ、愛情豊かに育てられたかがその人の一生に大きな影響を及ぼし、挫けてしまいそうな時の心の支えになると信じています。
今日お見えの若い子育て中の皆さんが、精一杯の愛情を地球の未来をゆだねる子供達に与えて欲しい。
4「. 生と死」どんな生を与えられても、死は避けられない、花の一輪にも生命は宿り、そして精一杯、役目を果たして消えて行く、輪廻転生、また新しい命として生まれくる。
若い女性からアメリカの9・11テロの被害者の一人の「死」を その意味を探し求めている、という質問を法王にしたときの答えは「 I DO NOT
KNOW!」(私には分からない)とのお言葉でした。この法王の短い、深い、一言に涙がでました。
但し、法王はその女性を悲しませるためでなく、「生死」を受け入れ、しっかり自分の「命の意味」を活かすように諭されたのだと思いました。
5「. 違い」を乗り越えること。60億人の地球に生きる人類は人間として同じである。私ども凡人は自己中心で、我執に捕らわれ、宗教、国籍、肌の色、貧富の「違い」を意識しなくてよい世界を作らなければならない。
6.日本人はもっと誇りを持って「平和を求め、核兵器、武器の無い世界を創っていく先頭に立つべきだ、なぜなら、唯一の被爆国であり、敗戦の灰の中から世界有数の国を創ったではないか!!」
7.幸せに暮らすには心、穏やかに、静かに、偏らず、物質より精神性、対立より共生。
(まだまだお伝えしきれませんが)
8. 二十世紀は暴力の、争いの世紀であった、約2 億人以上が犠牲になっている。
そして、この二十一世紀は「対話」の時代である。先ほどの違い、我執を乗り越え、暴力でなく、対話で物事を解決して行く知恵を人間は持っているはずだ。
そしてどの国も武器を持たない、我々も「心に武器を持たない」
目の前に居られるダライ・ラマ法王の慈愛に満ちた眼差しに「観世音菩薩」様の生まれ変わりと言われるように大きな宇宙的視野と誰にも同じ愛情をもって接し、西方寺本堂の最前列の私どもに、「正座を解いて、上着を脱いで、ゆったりと聞かないと自分の言葉が届かないよ!」と笑いを誘い、最後に今、世界でイスラム、キリスト教のような「目には目を」の教えから全ての平等を説く仏教に対する関心が高まっている。
日本の若い世代の不安感にも、もっと仏教者が役目を果たして行くべきだとおっしゃって、最後にチベット語の「喝」を唱えられて長野に於ける全ての行事を終えられて金沢に向かわれたのでした。
本当に有り難い機会でした。

ダライ・ラマ法王直筆の色紙と
西方寺ご訪問の記念品
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