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梅雨の終わりの雨音を聞きながら、また日暮れ時や夜明け前には「ひぐらし」の清澄な声?に耳を澄ましているこの7 月は8,9 月と続く、いわゆる「仏月」の最初の月ですね。
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万歳クリフ
サイパンの戦いにおいて追い詰められた日本兵や民間人が海に身を投じて自決した悲劇の断崖。多くの自決者が「天皇陛下、万歳」と叫び両腕を上げながら身を投じたことから、戦後この名で呼ばれるようになった。 |
この季節はどなたも近い、また、遠いご先祖に想いを巡らせます。また、お墓参り、 法事、新盆等々の準備のために、日頃の追われるような日々とは少し違う気持ちでお仏壇に向かって手を合わせ、水を代え、花を供えておられる方も多いことと思います。
さてこの7 月の初旬に、私は業界のつきあいで初めてサイパンを訪れました。帰国後すぐに7 月14 日「パリ祭」にご案内をいただいていたこともあって、フランス革命記念日の一日を友人夫妻と過ごしました。朝10時に軍事パレードが始まってから、昼の長いこの季節、暗くなるのが午後10
時前なので、花火が打ち上げられるのはその1 時間後からでしたが、夜遅く花火の名残の大輪の消えゆくまでを見送りながら宿に戻りました。
部屋では友人とワインを酌み交わしながら、日本という国の「今」は何故このような惨状に至ってしまったのか、その「因果」について話はあちこちに飛び、そして悪酔いにつながってしまいました。
話の流れはまず、「サイパン島」のいわゆる「万歳クリフ」「スーサイドクリフ」での先の大戦で、日本国のために散華された英霊のみなさんへの国として心からの哀悼と慰霊の思いが形になっていない≠ニいうことでした。たとえばアメリカ軍の記念墓地の広大な、そして整った姿との違いなどはこれを如実に物語っていて、「ほんとうに申し訳ない」と心底思いました。
サイパンへの旅は私には初めての訪問でしたので、合間をみながらできるだけの戦跡で線香を手向け、ご挨拶をと参加したのでした。
知人からの資料を基にこのミクロネシアの三島にて、米軍に追いつめられて日本の国の為に自らの生命を絶った軍人、民間の方々は
サイパン島、テニアン島、グアム島での総数
陸軍 46,221 名 戦没者数 43,459 柱
海軍 30,635 名 戦没者数 28,906 柱
だとのことで、戦死比率は94%に上り遺骨収集もままならず、グアム島に至ってはわずか442 柱のみが故郷に戻れたのみとのことでした。
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左は、スーサイドクリフの頂上、平和記念公園の中央にある慰霊碑で敵対した両国の人々が気持ちをあわせて制作したもの。キリストの十字架と観音菩薩の重なり合う美しい慰霊碑。右はその慰霊碑を取り囲むように並ぶ24の慰霊碑の1つで信州善光寺が建立した南太平洋戦没者慰霊塔。 |
「万歳クリフ」の崖の上から荒波の南の海をみつめ、米軍の艦砲射撃にさらされ、 崖に掘った塹壕の中では、火炎放射器の熱波に追いつめられて背後は断崖しかありません。
そして残された道は家族を思い、国を念じながら80数メートルの高さから荒波に飛翔し散華されたのでした。または互いに短剣やピストルで、アメリカ軍の捕虜に成る「恥」よりはと、尊い命を縮めて行ったのです。
6 月に商工会議所総会の講演に来られた政治評論家の青山繁晴さんが、涙と共に訴えておられた東京都下「硫黄島とう」の飛行場の滑走路の下に、今でも埋められたままの1
万人を越す英霊に対する日本という国の「礼」を欠いた60 数年。
パリ祭という名前は、日本ではロマンチックなイメージもありますが、実際はバスティーユ牢獄から始まった市民の蜂起を記念する「7 月14 日」に、広いシャンゼリゼー大通りの4600
名を越すフランス各軍を、サルコジ大統領が閲兵をすることから始まります。続いて行われる凱旋門からコンコルド広場までの、フランスの誇るミラージュ戦闘機以下の航空機、ヘリコプター、戦車までの行進は、いかにも国を、国民を守る気概と誇りに満ちた記念日であるといえます。
洞爺湖サミットでは、サルコジ大統領は福田首相とは会おうともしなかったのですが、自らが戦略的に組み上げてきた「地中海サミット」には、天敵同士である「イスラエル」「シリア」を含む43
カ国の首脳を集め、7 月13 日にパリで第一回の会合を行い、翌14 日にはコンコルド広場のメインスタンドに席を設けて、アメリカ一極支配が終わり、ドルの不信任、ユーロの拡大。自国民を仮想敵にして独裁権力、また人民軍の力でオリンピックを強行する中国の台頭を含め、アジアにおける相対的な日本の地位低下を織り込みながらも、血が流れない戦争、「外交」力を見せつけているように感じました。
字数に限りがあり結論を急ぎますが、国のために殉じた方々への当然の慰霊を、広島や長崎での毎年の慰霊祭と同じ様な施設と行事を、南太平洋でまた大陸でも行ってきてはおらず、なるべく触れないようにする、 |
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