会頭 樫山高士
看脚下(創業者 樫山 信 氏 筆)数ある禅語の中でも特に代表的なもの。「自分の立っているところを看定めよ」という教え。
 この表題は「法華経」の一節で、「全て上に立つ者はこの原則を持って我が身を律して行かねばならない」と説いています。弊社創業者樫山 信の生涯の言葉「看脚下」とともに、なかなか至らぬ日々ですがそれでもこの二つの大きな「教え」の下、「正法、正道」正しく生きて行きたいと過去の懺悔を忘れず、輪廻転生を信じれば「今この一生も一時」わずかな時間です。

 それ故に因果応報、上は国を預かる政治家、地域を預かる市町村長、企業を預かる社長、国民の汗の税金で暮らす行政・官僚は、それぞれに高い倫理に基づく施政が必然なのですが、そこが「凡人」、皆、我が身中心。我が欲を満たすことが先に立ち、結果、絶対多数の国民、市民、社員をないがしろにしがちなことに自戒を込め、この拙文にてこのごろ我が国また世界で起きていることに、嘆きと怒りを込めて訴えてみたいのです。

 数年前にインドネシア、アチェ地方を中心に20 万人に及ぶ犠牲者を出した台風と津波、そこには30 カ国を越える世界最大の支援と援助でたとえ一人でもと生存者を求め、水や食料、また医療、仮設住宅の建設とスピードを持って展開されました。それに比べ今回のミャンマーを襲ったサイクロンは権力を放さない軍人が支配し、民主化の選挙の結果も無視し、前もって寄せられた周辺国からの気象情報も無視し、住民への事前対応も行われずに人々を荒れ狂う嵐にさらす事態を招きました。その結果、国連の予想では10 万人を超す犠牲者と穀倉地帯の生きる糧をも失わせてしまいながら、軍事独裁の故か世界からの支援を拒否して国民を塗炭の苦しみにさらしている。この身勝手な軍政。

 また中国四川省での延々300 キロ、阪神淡路地震の推定50 キロの6 倍の長さの断層がずれ、阪神淡路地震の30 倍のエネルギーの巨大地震が起こりましたが、ミャンマーよりはすばやく首相が現地に入り指揮を執り始めましたものの、それでも生死の境に当たる地震発生後72 時間を過ぎてやっと日本の救援を受け入れたのでした。

 北京オリンピックを間近にしての共産党一党支配の維持には、国民の批判を何としても招くことのないよう聖火防衛隊の強引な派遣や、長野、ソウルで見られた数千人の動員された五星紅旗の旗の圧力と同様に、政府の危機感は建前と本音の狭間で、政府非難につながらないようにとのパフォーマンスが透けて見える気がするのは私だけでしょうか?

 とにかく現地の報道も充分では有りませんがその被害は根深く広く、これからも地球が示す大きな意図はなんでしょうか?

 もっとも安全に配慮されなければならない学校や病院が瞬時に倒壊し、誠に多数の犠牲者が出ていることは一人一人の父、母の血の涙には一人っ子政策の陰も映っているようです。

タージ・マハル(Taj Mahal)インドの世界遺産
 世界で最も美しい霊廟とよばれている。1632 年に建てられ、優美なイスラム様式の建物は白い大理石で造られ、精巧な象嵌が随所に施されている。(2008 年4 月 筆者撮影)
 そして一番情け無いのが我が国を司る福田総理以下の政府、官僚です。それこそ国の財政の末期症状、年金、医療の今日の姿に何故なったかを国民にしかと説明し、将来の若者達の日本という国に対する不信感を「どげんかせんといかん」のに官僚の放埒を防げず、悪用されているとしか思えない政治家群像。

 全ての課題は先送り、自分の任期だけ目をつぶれば良し。で貰うものは貰ってしまおうと言う品格の無い、与野党。

 「最後のつけ」はやはり選んだ国民の責任として「因果応報」とならざるを得ないとすれば、「人民を邪枉」した多くの各国政治家には地獄に堕ちて長い報いを受けろと仏の教えに縋るしかないのでしょうか??

 
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