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人気の中山道ウォーキング |
“道”という言葉を聞くと、なぜかロマンをかきたてられる。『道の文化史』を書いたオーストリアの歴史学者シュライバーは、“道”を交響曲にたとえた。しかし、人の営みの長い歴史を貫く“道”は、興味を抱いた人間にしか、その魅力的な貌を見せてはくれない。
佐久市には旧中山道が通っており、5つの宿場が遺されている。北佐久郡まで含めると9つある。得難い遺産であり観光資源であると思えるが、地元の方は意外に関心が薄いようだ。レジャー・観光が専門分野である筆者にすれば、実にもったいない話なのである。
京都から信濃を通り、東国各国に向かうルートを中山道と表記するのは、すでに『太平記』に見られる。したがって中世にはその名で呼ばれていたと推定される。また、戦国時代には、北条氏が関東の中山道に伝馬制度を敷き宿駅を整備した。江戸幕府が開かれると、翌、慶長9年(1604)には江戸日本橋を起点にして諸国の街道の両側に一里塚を造成し、松並木が植えられた。江戸五街道が形成されていったきっかけである。正徳6年(1716)、江戸幕府は公式に中山道と表記することとした。
街道ばかりではなく、佐久平は歴史の宝庫といって過言ではない。その財産を保全し有効に使うには、まずなによりも地域住民の方が興味と誇りをもち、より深く知ろうとすることではないか。小松左京は『歴史と文明の旅』で、「歴史についての知識がなければ、シルクロードは、ただ埃っぽい、単調な一本の道にすぎない」と書いた。 |
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