会頭 樫山高士

トリノオリンピックは17日間の熱戦を繰り広げ幕を閉じました。新聞、テレビなどのメディアは、事前報道でスピードスケート500Mやスノーボード、ハーフパイプ、モーグル等々であたかもメダルが確実であるがごとくはしゃぎ持ち上げたことで、多くの日本人は日の丸が揚がることを大いに期待して、夜遅くとも朝早くともチャンネルを合わせて来たことと思います。

 たまたま私どもはオリンピック期間中、出張で渡米しておりましたが、現地のテレビでも日本と同じような熱狂的な放送があるに違いないと思っていました。ところがニュース番組等を見ていましたら、オリンピック報道はほとんどありません。意外にも国際的な事件や動き、またアメリカの国益からみた重要性に沿った映像がほとんどでした。
 もちろんスポーツチャンネルなどでは野球、サッカー、ゴルフの合間に時間が割り当てられている程度のことでした。

 ここにも日本のテレビその他のまたは国民が求める報道の優先順位、に大きな違いがあるのに気づかされました。
 前から日本のメデイアの報道は横並びで情に訴えることが多く、データに基づく冷静な予想が少ないことを危惧しておりましたが、今回のオリンピックはその典型であったように思います。
 つまりデータでみれば事前報道は単に希望的観測であり、出場選手に余計な心理的不安や過剰な自信を植えつけただけのことが多くあったのではないかと推測いたします。
 それは選手よりはるかに多く同行してイタリアを楽しんだ役員のためのものであり、結果として選手は「オリンピックを十分楽しみました」というコメントに対して、昔は戦争の代わりに国の存亡を賭けて闘った歴史を愚弄しているようで、本音では許しがたいことと思いませんでしたか?
 某テレビ局のように現地トリノにタレントをレポーターとして送り込み、大きな言動で騒ぎたてことで、ルール違反の裁定を受け取材禁止の処置を受けたことも日本の恥でした。
 そんな中での最後の最後に中央のポールに日の丸が揚がり、国歌が演奏されときは思わず涙した方も多かったと思いますがいかがでしょうか。
 もっとも私はアメリカで2日遅れの新聞で知りましたが、それでも涙があふれました。

 オリンピックが閉幕して8日経った3月6日の夜、長野オリンピックの会場となったエムウエーブで、「長野オリンピックメモリアルオンアイス」が開催されました。私は幸運にも、ある方からのご好意でこのイベントの貴重な観覧チケットをいただきまして、初めてのことでしたがリンクから2列目というすばらしい席で見せてもらうことができました。
 目の前の演技はテレビとは違いそのスピード感に圧倒され、優雅に滑っている各選手の基盤になっている技術や体力には感動し、加えてメダリストにはオーラがあって直接ハートに響く表現力が欠かせないものなのだと思いました。つまり競技ではあるけれど芸術性が高められているということでした。
 日本の女神 荒川選手の演技は曲が流れて滑り出したその時に、すでに私のハートを熱くし彼女の存在そのものに日本人として共に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
普段は拍手の下手な私ですが有名になったイナバウアーも含め4分間の演技時間がずっと続けばと願うほどの崇高さでした。

 一転して、フィナーレでは安藤、高橋選手や外国のメダリストと共に幸せそうな笑顔を私に向け(思いこみですが)7000人を超える観客にも贈ってくれました。
 リンクサイドの特典?により前に出て各選手のハイタッチに手を伸ばし、何人かの選手とローマシステーナ聖堂のミケランジェロの作品にあるように、人間が神にすがるように指先で同じ場所、時間を共有できたことの感動を夫婦でかみしめながら帰路につきました。

   本当に荒川静香さん ありがとうございました。

 


 
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