佐久平駅の蓼科口近くの蕎麦屋さんに上掛式の大きな水車があり、ひねもす水しぶきをあげて回っている。客寄せ目的であろうが実際にそば碾いていると聞いている。佐久にも山間地の地形を利用した水車小屋が沢山あって精米や粉を碾いていたと思う。それも昭和30年代に殆ど姿を消してしまった。
 製糸工場あ製材所(せいはん)でも水車が使われていた、塚原に明治13年ごろ盛糸社という製糸工場が設立され、水車動力であったと記録にあるが委細は不明である。佐久で製糸に次ぐ工業は製材業であった。縦挽き鋸を用いて人力で板を切り出す仕事は大変な重労働で、熟練を必要とした。丸鋸を水車で回すようになるのは明治36年頃である。

 明治の終わりころから佐久でも工業用動力は次第に電力に替るようになるが、その電力もまた水車利用であった。かつて日本では水力発電が主流であったが、いまや原子力の発電と火力発電にその座を譲ってしまった。しかし佐久にはいまも水力発電がいくつも稼動している。その一つ、横根の発電所は規模こそ小さいが観光資源としては逸品である。
 新幹線の上り電車は佐久平駅を発つとすぐ小田井トンネルに入る。この短いトンネルを抜けると右手に湯川が流れ、その対岸に小さな横根の発電所が見える。ほんの一瞬のことで、うっかりすると見逃してしまう。

 農村に工場を誘致して村を活性化させようと当時の平根村が計画したもので、昭和29年に完成した。4kmほど上流の湯川から水をひき、有効落差33m余り、水圧官は1本で出力600kwの国産水車を回して発電している。農協が中心に利用し、電線工場、プラスチック工場、パン工場などに電力を供給し、所期の目的を果たし、今は佐久平尾山開発鰍ェ管理している。半世紀以上建設時のまま発電を続けているところを見ると、当時の日本の技術の優秀さを改めて認識させられるのである。

 農業共同組合自家発電所の看板がかかる建物に入ると、水圧管も水車も発電機も一緒に見ることができるので、小中学生の郊外学習には格好な場所である。水車の模型などを置いて学習の便に供したらよい。近くにある佐藤春夫の磊庵の碑などとともにパラダの観光コースにしたらどうか。

 


 
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