副会頭 坂川 卓志
日本人街=サンパウロ中心部のリベルダーデ地区は外国にある唯一の日本人コロニーとして知られている
 7月1日から1ヶ月余の日程で長期旅行に行かせていただきました。大半はブラジルに滞在しましたが、帰りはスペインマドリッドを経由しトルコ、エジプトと回って帰ってきました。今回はエジプト、トルコの話はまたの機会にして、ブラジルについて少し気付いた事をお話してみたいと思います。

 私はブラジルとの関係は長く、今から18年も前に出稼ぎ労働者の採用ために出かけたことをきっかけに、今回の訪問で3回目となります。なぜまた今ブラジルなのかと思われるかもしれませんが、弊社も含め中小企業は今、エンジニアの採用が非常に厳しくなっています。今まではワーカー主体でよかったのですが、これからは団塊世代の退職を控え、大手が大量採用をする動きもあり、中小企業への技術者採用は困難が予想されます。このため、過去の人脈を頼って、いち早くワーカーではなくエンジニアの採用ルートを作る必要性を感じたのが大きな目的でした。長期間不在になることから、樫山会頭にお話をしたところ、「まさにその通りだ、佐久商工会議所には”いきいきワーク佐久”という受け皿もあるし、実現に向けて頑張ってきてほしい」との助言も頂き、プレッシャーを感じながらの旅となりました。

(写真1) 伯国三菱商事副社長 仁村 博 氏
 7月1日の夕方成田を立ち、ニューヨークを経由し24時間近い時間を経てサンパウロに到着しました。通訳も含め多くの人脈を頼りに行動を開始しました。まず最初にお邪魔をしたのは、私が行動を起こすきっかけとなった、伯国三菱商事でした。その理由は、昨年暮れの日系ビジネス12月号にBRICsの特集でブラジルが大きく取り上げられていたからです。その中に私が考えた技術者の教育、受け入れの話が載っており、25人の採用に対し950人の応募があったという記事でした。日本をたつ前に日本三菱商事の広報部に電話を入れて段取りを取っておきました。その甲斐があって、早速、伯国三菱商事副社長の仁村 博氏(写真1)にお会いし、2時間もの時間を割いていただき、有意義な話し合いができ、また助言もいただきました。結論的には私の考えが間違っていないことがわかりました。「時間もかかりますが今からやっておけば将来絶対役に立ちますよ、私も応援しますので」と激励を受け少し自信がつきました。次にお会いした人は、ブラジル日本語センター理事諸川氏(写真2)。連絡をとり一連の事情を説明したところ、ちょうど”日本語速成熟”の開所式があるので出てこないかと誘われ出席しました。やはり現地でも4世、5世はほとんど日本語が話せません。派遣業者においても日本で問題となっており、日本語をある程度教育し送り込む必要性に迫られているようです。この会に出席したことで、色々な要人にお会いでき、情報収集に役立ち有益でした。記者の取材も受け、小さくではありましたが、日系新聞に佐久商工会議所の名前も載りました。今回私が考えているエンジニア採用についても特に言語問題を重視しています。私は最低でも6ヶ月間以上の日本語教育を受け、日本語学校の資格をとることを1つの条件にすることを考えています。ワーカーと違い、エンジニアの場合お客様との接触もあり、ある程度の意思の疎通ができなければなりません。速成熟は3ヶ月ですので少し物足りなく思っています。しかし他にも日本語教育をするところは沢山あり、受け入れ条件として確立することはできます。
 さて教育のめどは立ちましたが、次に一番大事なのは人材をどのような手段で集めるかが問題です。三菱商事の仁村副社長のアドバイスとして日系を中心としたコミュニティーの取り方が一番効果的と聞いていたので、今回お世話になっている経営コンサルタントのムリロ政春氏にお願いし”日本・ブラジル新聞”にコンタクトを取り日系の山村マネージャー、ジェハー・バルテウス副社長(写真3)に会うことが出
(写真2) ブラジル日本商工会議所(日商の会員)の事務局長 平田 氏
来ました。この新聞社はIPCと言うTV局のグループ新聞社です。IPCは今日本に30万人いる日系の人たちに衛星を使いTV放送を提供しています。私の目的を説明したところ大賛成してくれました。全面的に応援します、とまで言ってくれました。募集広告等の話も丁寧に教えてくれました。技術者専用の募集は派遣業者と同じ募集欄に入れないほうがよい、本誌の欄に入れ別行動をとったほうがよいとアドバイスを受けました。また日本のIPC・TV局にカウベルと商工会議所を取材させましょう。とまで言ってくれました。・・・お世辞も入っているのでしょうがしかしその後も”日本・ブラジル新聞”の日本語ページ記者大浦さんに取材を受け写真も撮られ、坂川さんこれを記事として新聞に載せますよと言われました。「記事になったら私に送ってくださいよ」とプレッシャーを掛けておきました。

発展著しいサンパウロのポーリスタ通り
(ビジネス街)
 一つ一つ手を打ち、最後にブラジル日本商工会議所(日商の会員)の事務局長平田氏(写真2)にお会いしブラジル事情をお聞きしました。非常に多忙な方で、私はブラジルについて間もなくコンタクトを取ったのですが、7月25日しか予定が取れないと言う事で最後になったわけです。平田氏は日本人で若いころロームがブラジルに半導体の工場を作るとき責任者としてブラジルに来たそうです。しかしロームは世界情勢変化の中、閉鎖と言う最悪の事態となり、その後ブラジル永住の道を選んだ人物です。いろいろお聞きしました。日本からはまさに地球の裏側遠い国ブラジルである。笠戸丸が移民者を乗せ最初にブラジルについて100年を迎えようとしています。来年は100周年行事で今から大忙しだそうです。100年が経過し今では日系4世、5世、6世まで生まれ、何と140万人という日系人の数はブラジルが最多です。彼らは非常に優秀で昔と違い地位も定着しています。サンパウロ大学では学生の15%、サンパウロ州人口の2%,サンパウロ市人口の5%を占めています。平田氏はサンパウロ大学(日本では東大クラス)ともう一つの大学を紹介されました。「そのような優れた大学生は卒業までに就職が決まっているのではないですか?」と私が尋ねたところ、「いやそんなことはありません。BRICsの1国として持てはやされていますが、まだまだ受け皿が少なく優秀な人材があふれているのが現状です。是非いい受け皿として確立してください。協力しますよ」と言っていただきました。これで今回の訪問の目的はある程度達成したことと、私の考えが間違っていないことを確信しました。

BRICs(ブリクス)とは、経済発展が著しいブラジル (Brazil)、ロシア (Russia)、インド (India)、中国 (China) の頭文字を合わせた4ヶ国の総称。本来BRICsのsは英語の複数形を表すが、BRICSとしてSが南アフリカ (South Africa) を表す場合もあり、さらにインドネシア (Indonesia) を加えた6か国の総称として「BRIICS」と表記することもある。


 
コラムINDEXにもどる