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天明年間、桜井村の呉服商 臼田丹右衛門が「淀鯉」を持ち帰り養鯉をはじめた。 二百二十余年の時を経て、今も集落の民家には鯉を飼う風習が続いている。
 

 佐久鯉の佐久鯉の天明年間(一七八一〜八八年)、桜井村の呉服商臼田丹右衛門(たんにもん)がはるばる淀川の鯉を数尾、佐久に持ち込んだ。文化・文政期に桜井村では池中養鯉が目立って多く、名主の「旧夫銭帖」に「大鯉七本ヲ代官所ナル御影陣屋ニ献納」されたと記されていることから推察できる。

 天保年間には、桜井村では戸々に池をつくり稚鯉が生産されるようになったばかりではなく、内山峠を越え上州下仁田に蚕蛹を買いつけに出かけている。養鯉がようやく勃興し、近隣の村々に広がりをみせている。弘化年期(一八四四年)には、「桜井村養鯉事業沿革大要」に浅沼太十郎の稲田で養鯉を試みた、そのアイデアを讃えている。  このように桜井を中心に佐久の養鯉業の骨格は、文化・文政から天保をへて弘化年間にほぼ整えられた。それ以来、この地は佐久の鯉づくりの先駆者的な役割を担ってきた。

桜井地区周辺の地図

 このような佐久鯉発祥の地として、さまざまな歴史を刻んできた桜井地区は、養鯉卓越地域でもあった。片貝川、千曲川などの流水のほか湧水も得られる佐久平随一の立地をもっている。特に湧水は、水田から取り上げた鯉を翌春まで越冬させる池として湧水が用いられた。冬期でも12度の水温があれば、鯉は餌を摂ることから越冬成績が良くなる。桜井地区には、今なお湧水や水路がはりめぐらされ、民家や池など歴史を感じさせてくれるたたずまいがある。また家々には自家製みそで煮込んだ「鯉こく」や塩や甘辛いたれで仕上げた「唐揚げ」、内臓を利 用した「塩から」といった、昔ながらながらの味付けの料理が代々受けつがれ、息づいている。

 
桜井のシンボル 延命寺 (えんめいじ)

延命時外観の写真

 約300 年前に再建された本堂と、平成九年に新築した不動堂。田園が多く残る桜井のお寺は、古さと新しさが美しく調和されています。毎月28 日には、東信屈指の大きさを誇る不動明王像のもとで、護摩法要を行っています。延命寺は約1200年の歴史があり、全盛期には十八伽藍の建物があった。この中には延命地蔵もあり、人々の信仰を集めていたことから、長寿、縁結び、家庭円満など“えん”を願う地蔵として建立されている。真言宗。